■≪宇部線廃止宣言経緯の真相か?≫
プロフィール欄の<雑記6>をお読みください。
宇部線廃止騒動が収まってからも、毎日、全国からアクセスを頂いています。
サイトの中に、私なりの活性化案などを書いていますので、宇部・山陽小野田市在住の方も是非ご覧になって下さるようお願いします。
私は宇部市のためには都市間連絡の性格を持つ鉄軌道(宇部線)は必要不可欠と考えております。
宇部線の廃止・バス化ではなく、鉄道での利便性を高めることを模索したいと思います。
BRTの検討なら、宇部線より市内の幹線道路(国道190号東西及び490号)に中央走行路方式のBRTをつくるのが適当ではないでしょうか。
※宇部線の廃止宣言を一方的にした、久保田后子宇部市長が、2020年10月22日に辞任しました。
今後の動きを注視したいと思います。
★2021年1月27日 「宇部線BRT化計画凍結」の報道が新聞・テレビ各社からありました。
宇部市の西郊に位置する山陽本線の宇部駅から南へ進み、市中心部にある宇部新川駅から、市東郊の丘陵や田園地帯を経て新山口駅までを結んでいる。
宇部市内間の近郊輸送と、宇部新川駅からそれぞれ、宇部駅以西・新山口駅間との都市間輸送を担っている。
全列車が普通列車で、宇部新川駅からは、山陽本線の、下関・厚狭駅までは直通列車がある。
かつては石灰石輸送が盛んであり、宇部興産梶iセメント工場)などへの支線が数多く存在したが、1975年に宇部興産道路(宇部・美祢高速道路)が開通して以来、漸次的にトレーラー・トラック輸送に切り替えられてきた。
戦前からの電化路線だが、駅間距離が短く最高速度も85キロと遅いため、宇部新川〜 新山口間では、山口宇部道路(無料の自動車専用道路)経由の特急バス(宇部市営)を利用する方が早い。
しかし、2003年からしばらくの間運行された「のぞみリレー号」(宇部新川から新山口まで途中、床波と阿知須のみ停車)は、最短32分と、特急バスの約40分に速度では対抗できた。
利用が堅調だった1970年代には、宇部〜東新川の複線化や宇部新川駅ビル建設計画などがあったが、旅客輸送・貨物輸送の減少や、特に駅ビルは地元との調整が上手くいかず(同意が得られず)、実現に至っていない。
利用は、年々減少し、最盛期の1965年に比べると、乗降客は90%程度の減少と大幅減となっている。
近年、公立高校の全県1学区制の導入などにより、遠距離通学の学生が増えたため、多少下げ止まっているが、通勤・用務利用者は今なお減少中である。
なお、2019年1月15日に、宇部市の久保田市長が、記者会見により、宇部線の廃止・バス転換「BRT化」を表明して、各界に波紋を広げている。
1914年 宇部軽便鉄道によって宇部〜宇部新川間が開業
(宇部興産鰍フ創業者 渡辺祐策が総代発起人となり会社設立)
1925年 宇部〜宇部新川〜小郡間全線が開通
1929年 全線電化
1943年 宇部鉄道全線が国有化 宇部新川が宇部に、宇部が西宇部に改称
1964年 宇部が宇部新川に改称、西宇部が宇部に改称
1981年 新型国電105系電車が配置
1987年 国鉄分割民営化
1990年 宇部新川鉄道部の発足
1992年 全線でワンマン運転開始
1999年 宇部新川〜小郡間でワンマン化を拡大
2002年 合理化により、月1回保守工事のため日中運休制を導入(最大4時間程度)
同時に、減便・短編成化、宇部新川発の22時台以降の列車を廃止
2003年 小郡が新山口に改称
2007年 乗降客の減少が著しく、1965年比85%減まで落ち込む
2009年 合理化により、宇部新川鉄道部が廃止され山口地域鉄道部に統廃合
2012年 宇部市の「駅業務の簡易委託」予算廃止により宇部市内の中間駅の有人駅は
宇部新川のみとなる。
※2019年7月現在、阿知須は山口市が簡易委託受託中(有人駅)
2013年 合理化により、宇部新川発宇部方面の便が、1日7便の大幅減便
2019年 この20年間で乗降客が半減になる。

≪小野田線について≫
JR小野田駅から旧市内の中心である南中川・南小野田・小野田港を通り、宇部線居能駅までをつないでいる。
列車は、全列車が宇部新川駅まで直通している。
途中の雀田駅から長門本山駅へ分岐する支線(本山支線)を持つ。
なお、2003年までは、旧型国電クモハ42により、運行され、朝・夕の1本ずつは、宇部新川駅まで乗り入れていた。
60年代までは石炭や石灰石や石炭輸送も盛んであり、旅客輸送も順調であったが、年々利用者が減り、相次ぐ減便とくに、2012年の大幅減便により、極めて利用が難しい状況に追い込まれている。
2013年に大幅減便された宇部線とともに、宇部新川〜小野田駅間の直通客対策として、時間帯によっては、両線が補完しあう体制となっている。
2019年1月15日に、宇部市が、宇部線・小野田線を廃止してBRT化すると表明。
宇部市長の記者会見時点では、山陽小野田市は協議に加わっていない。
2019年6月現在は、全列車がワンマン運行である。
1915年 小野田〜セメント町(現南小野田)
1929年 沖ノ山旧鉱(後の宇部港)〜新沖山間開業
1931年 宇部新川〜 沖ノ山旧鉱間開業
1937年 雀田〜本山(現長門本山)間開業
1947年 雀田 - 新沖山間が廃止
小野田港〜 雀田間開業し、小野田線が全通
1950年 小野田港〜小野田間が電化され、これにより全線電化
1986年 居能〜小野田間の貨物営業廃止
1989年 宇部新川〜雀田〜長門本山間でワンマン運転開始
2002年 深夜時間帯の列車が廃止
2003年 雀田〜長門本山間の旧型国電クモハ42形の運行が終わる。
2009年 宇部新川鉄道部が廃止され、山口地域鉄道部に統廃合。
2012年 6便減便を実施、これにより日中は、3時間程度空白が生じる。
本山線も減便により、1日3往復となり、実質利用不能になる。
2019年 1月15日、宇部市の久保田市長が、宇部・小野田線の「BRT化」を表明。
≪宇部都市圏について≫
(周南都市圏(人口約25万人)、宇部都市圏(約26万人)、下関都市圏(約27万人)にが、山口県の3大都市圏である。
県庁が所在する山口市は、山口・防府都市圏となっており人口は32万人を超えているが、実質的に一体的な都市圏を構成しておらず、山口市・防府市それぞれの独自性が強い。
ただし、県内の都市機能の旧山口市地区や小郡地区(新幹線新山口駅付近)への集積が近年進んでおり、旧山口市地区や新山口駅付近の存在感が年々増している。
宇部都市圏は、宇部市、山陽小野田市、美祢市であり、加えて山口市阿知須地区も旧吉敷郡阿知須町時代から密接に関係している。
二次産業の従事者が県内の他地域と比較して高い。
なお、中心部の宇部新川駅付近が、都市圏の南部に偏在しており、中心部の影響力が都市圏全体に伝わりにくい。
また、幹線系の交通機関が脆弱である。
JR山陽本線と国道2号の大動脈が中心部より中北部を通過。
山陽新幹線が、都市圏西に位置する厚狭駅のみで、こだま号のみ停車しない。
空港は、山口宇部空港が、宇部市の南端に立地しているが、対東京路線(10便/日)のみ。冬季限定でソウル便(3便/週)あり。
特に、のぞみ号停車の新幹線駅が近接する山口市小郡地区にあり(新山口駅)、加えてスプロールにより宇部市中心市街地の衰退等から都市圏全体の衰退が著しく、近年、企業の撤退が進んでいる。
かつては宇部興産鰍フ城下町の様相を呈しており、宇部興産鰍焉A地域の活性化のため、自身の多角化の延長線で、様々な企業を宇部に設立した。
しかし、80〜90年代以降は、本社が実質東京に移ったので、地域色は薄まっている。
撤退した企業・事業所を思いつくまま記載してみる。
・宇部興産竃{社 70年代半ば少しづつ東京に移転し、80年頃実質移転完了
・ファーストリテイリング 2000代初頭に、実質的に東京に移転
・山口ゼロックス 小郡へ移転
・NTT宇部支店 山口支店に統廃合
・JT宇部支店 山口支店に統廃合
・帝国データバンク宇部支店 小郡へ移転
・日本旅行宇部支店 山口支店に統廃合
・JR西日本宇部新川駅旅行センター 廃止
・JTB宇部支店 山口支店へ統廃合
・宇部進学教室 小郡へ移転
・専門学校YICグループ 小郡へ移転
・放送大学山口学習センター 山口市へ移転
・精華学園高校 小郡へ移転
・宇部井筒屋 閉店、宇部市地域が山口井筒屋の営業エリアとなる
大学は比較的多いが、少子化等により、かつて西日本最大規模を誇った現在の宇部フロンティア大学短期大学部(旧宇部短期大学)の勢いがない。
市内及び近郊の大学等
・山口大学医学部
・山口大学工学部
・宇部フロンティア大学
・宇部フロンティア大学短期大学部
・山陽小野田市立山口東京理科大学
・宇部工業高等専門学校
宇部出身の有名人
・山田洋次(映画監督)
・庵野秀明(映画監督)
・菅直人(元首相)
・柳井正(ファーストリテイリング社長)など
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